今回は、体調不良が原因で不登校を経験した加藤麻衣子さん(仮名・現在34歳)のエピソードをお届けします。
中学1年生の頃に体調を崩し、その後学校に通えなくなった麻衣子さんがどのようにして自分を取り戻し、新しい道を歩み始めたのかを詳しく伺いました。

あなたが同じような悩みを抱えているなら、少しでも参考になれば嬉しいです。
体調不良がもたらした学校生活への影響
――麻衣子さん、体調不良が最初に現れたのはいつ頃でしたか?
「中学に入ってすぐの頃です。春休み明けの最初の体育の授業で、突然めまいと吐き気がして立っていられなくなりました。その日は保健室で休んだんですが、それからも授業中に気分が悪くなることが増えて…。特に体育や朝の時間に体が重くて辛くて、学校に行くのが憂鬱になってしまいました」
――授業中の辛さについて、周囲に相談できましたか?
「クラスの友達に少し話したんですけど、最初は『大丈夫?』って心配してくれても、毎回体調が悪いと言うたびに『また?』みたいな反応になってしまって…。それが余計に気まずくなって、だんだん誰にも話せなくなりました」
不登校に至るまでの経緯
――学校を休むようになったのはどのタイミングだったのでしょうか?
「2学期が始まった頃です。夏休み中も体調が優れず、朝起きるのも辛かったんです。夏休み明けの最初の日、どうしても体が重くて起き上がれなくて、そのまま『行きたくない』と母に言ってしまいました。その日から少しずつ休む日が増えて、最終的に学校に行けなくなりました」
――学校に行けなくなったとき、どのような気持ちでしたか?
「最初は『明日こそ行こう』と思っていたんですが、毎朝起きるたびに『無理だ』と感じて…。友達に会うのが怖くなったり、先生に迷惑をかけている気がして申し訳なくて、どうしていいかわからなくなりました」
不登校中の生活
――学校を休んでいる間はどんな日々を過ごしていましたか?
「最初のうちは何も手につかなくて、一日中ベッドの中で過ごしていました。テレビをつけても何も頭に入らないし、スマホを見ても学校の子たちが楽しそうにしているのを見て余計に落ち込んで…。時間が止まっているような感覚でした」
――その間、ご家族との関係はどうでしたか?
「母は最初すごく心配してくれて、毎朝『大丈夫?』って声をかけてくれました。でも、私がずっと黙っているとだんだんイライラしてきて、『いつまでこんなこと続けるの?』って責められることもありました。そのたびに申し訳なくて、家族とも距離を取るようになってしまいました」
家族との関係の変化
――その後、ご家族との間で変化があった出来事はありましたか?
「ある日、母が『無理して学校に行かなくてもいいよ』って言ってくれたんです。それまでは学校に行けない自分を責めてばかりだったんですが、その言葉で少しホッとしました。それから母と一緒に病院に行って診察を受けたり、少しずつ自分の状態を受け入れる準備ができました」
再起のきっかけ
――学校以外の選択肢を探し始めたのはその後ですか?
「はい、母が地域のフリースクールを調べてくれたんです。そこに通い始めたのが大きな転機でした。最初は緊張しましたが、先生が『ここは君のペースで大丈夫だよ』と言ってくれて、初めて自分のことを認めてもらえた気がしました」
新しい環境での挑戦
――フリースクールではどんなことを学びましたか?
「絵を描くのが好きだったので、アートの時間がすごく楽しかったです。それから、同じように学校に行けなくなった子たちと話す中で、自分だけじゃないと気づけたことが大きかったです。少しずつ心が軽くなって、自分にもできることがあると思えるようになりました」
通信制高校への進学
――高校進学はどのように決めたのですか?
「フリースクールの先生が通信制高校を紹介してくれて、自分のペースで学べる環境に魅力を感じました。無理なく勉強できることが嬉しくて、高校では少しずつ自信を取り戻すことができました」
――高校生活で印象に残っている出来事はありますか?
「文化祭でアート作品を展示したことです。他の生徒や先生から『すごいね』って言われて、久しぶりに人に認められる喜びを感じました」
社会人としての現在
――現在はどのようなお仕事をされていますか?
「今はデザイン会社で働いています。高校時代に好きだったアートを仕事にできるのが嬉しいです。過去の体調不良も今となっては自分の糧になっていると感じます」
同じ悩みを抱える人へのメッセージ
――体調不良で学校に行けない方に向けて、メッセージをお願いします。
「まずは自分を責めないでください。無理に頑張らなくてもいいし、周りには必ず助けてくれる人がいます。一歩ずつできることを見つけて、少しずつ前に進んでください」
まとめ
麻衣子さんのエピソードは、体調不良と向き合う方々にとって心の支えになるでしょう。

自分に合ったペースで新しい環境を見つけ、克服していった彼女の経験が、少しでも多くの方の力になることを願っています!